QueSeraSeraCA’s こんな私の生きる道 〜 Stay hungry, Stay foolish 〜

思えば遠くへ来たもんだ、目的も計画も不明瞭なままに...

サンクスギビング

先週の23日、日本は勤労感謝の日でお休みですが、アメリカはサンクスギビングのホリデーでした。今年は2人だけなので、いちばんちっちゃいターキーを購入して、家でお料理(彼が)しながらのんびり過ごしました。

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 渡米以降も、彼が出張で家を空けることが多く、久しぶりにずーっと一緒の時間を過ごしたためか、疲れました。

 

週明け、また彼は出張へ。私はターキーの残りで作ったスープを食べ続けています。

K-1ビザジャーニー#2 NOA1受領

USCISに書類一式を送付するとすぐにクリスマスホリデーに突入したアメリカ。NOA1を受け取ったのは年明けとなりました。

 

ここからは、自分たちにできることは何もありませんので、ただひたすら待つのみ。

とりあえず気長に、あまり神経質にならず気楽に待とうと決めた私の、長い長いビザジャーニーが始まりました。

 

〜 これまでのタイムライン 〜

* 2016/11/末 : I-129F関連書類準備スタート

* 2016/12/19 : USCISに書類を発送(USPS Priority Mail Expressにて)

* 2016/12/21 : USPSのトラッキングサービスにて配達済みを確認

* 2017/01/03 : USCISからのAcceptance Confirmation(NOA1)をeメールにて受信

K-1ビザジャーニー#1 I-129Fの提出

さて、本題のフィアンンセビザの話を始めようと思います。

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K-1ビザ申請の第一歩は、アメリカ国籍を持つ婚約者が、フォームI−129Fとそれに必要な添付書類をUSCISに提出することからスタートします。

※K-1ビザとはなんぞや、とか、最新の手続き方法などは、ここでは触れません。また乏しい記憶を手繰り寄せて書いていますので、記憶が曖昧な部分はあしからずご容赦を。

 

私達が書類の準備に取りかかったのは2016年の11月末でした。

幸い、彼はこういった事務手続きに慣れているのと、I-129F自体彼が提出するべきものなので、彼主導で進めました。私は基本的に彼からの指示に基づいて必要書類を準備したり、書類に記入しただけ、と言えば「だけ」でしたが、添付書類の「精度」をめぐっては、几帳面な彼と大雑把な私との間で意見が食い違い、正直イライラすることもありました。これからのビザジャーニーや結婚後の生活を考えれば些細なことと思い、乗り越えましたが、国境の壁というのがこれほど高いものだということを改めて思い知らされた次第です。

 

提出した書類は以下の通り。

  • Cover Letter <-- 彼作成
  • Form I-129F - Petition for Alien Fiancé(e) <--  彼作成、一部私の部分を私が記入
  • Form G1145 - e-Notification of Application / Petition Acceptance <-- 彼作成
  • Form G-325A - Biographic Information of Petitioner <-- 彼作成
  • Form G-325A - Biographic Information of Beneficiary <-- 私作成
  • パスポートサイズ写真各1枚 <-- お互いに用意
  • Evidence of Petitioner's U.S. Citizenship <-- Birth Certificate, UP Passport, SSN Cardのコピーを彼が用意
  • Evidence of In-person meeting within the last 2years <-- 飛行機のチケット、旅行の写真(でけるだけ日付、場所の異なるものを選択)、家族と一緒の写真のコピー複数枚
  • Evidence of divorce <-- (お互い離婚歴があるため)彼は離婚裁判時のリーガル書類、私は離婚届受理証明のコピーと英訳*1を用意
  • Letters of Intent to Marry <-- 彼が作成、Save the Date Invitation (draft)を添付
  • 戸籍謄本 <-- 英訳*1を添付

 *1:英訳に関しては、ご自身で英訳されたといった内容をブログで見かけました。私も実際は自分で英訳したのですが、日英語の堪能な第三者が英訳すべきと言って聞かない彼との押問答の末、アメリカ在住20年以上の友人に英訳の確認とサインをお願いしました。

USCISガイドラインでは以下のようになっていて、本人の英訳でも問題ないのかもしれませんが、ドキュメントの信憑性という意味では第三者の英訳の方がふさわしいかもしれません。

 Translations     . Any document containing foreign language submitted to USCIS shall be accompanied by a full English language translation which the translator has certified as complete and accurate, and by the translator's certification that he or she is competent to translate from the foreign language into English.  

https://www.uscis.gov/ilink/docView/SLB/HTML/SLB/0-0-0-1/0-0-0-11261/0-0-0-11630/0-0-0-11646.html#0-0-0-9457

 

なお、私が用意またはサインしたものは全てスキャンしてデータで送り、原本は使いませんでした。彼がUSCISに確認して大丈夫ということでしたが、念のため確認することをお勧めします。

 

〜 これまでのタイムライン 〜

* 2016/11/末 : I-129F関連書類準備スタート

* 2016/12/19 : USCISに書類を発送(USPS Priority Mail Expressにて)

* 2016/12/21 : USPSのトラッキングサービスにて配達済みを確認

さて、と

すっかり間が空いてしまいました。これが私の悪い癖です、反省。

 

人間ドックでの要再検査CTの結果は、ひとまず心配していたようなものではありませんでした。あれだけ真剣に命と向き合った時間も喉元過ぎれば何とやらで、気が付くと健康な日々が続いていることを当たり前に思っている自分。これも私の悪いところです、さらに反省。

 

日頃の健康管理、定期検診はこれからも心がけなければいけないと改めて思っています。そして、あの時意識した「命には限りがあること、それがいつかは誰にもわからないこと」を忘れずに日々を過ごさねばと思っています。

 

私がブログを放置していた間に、フリーアナウンサー乳がんで闘病されていた小林麻央さんが亡くなられました。回復を心から祈り、ブログの更新を心待ちにしていたのは、私だけではなかったでしょう。あの日、訃報を知った時の心の動揺、様々な思いとともに、NEWS ZEROの村尾キャスターが、追悼番組でおっしゃった言葉もまた忘れずにいようと思います。

 

人は何年生きられるかは自分では決められませんが、いかに生きるかは決められます。

 

そんな、いかに生きるかを自分に問い続け迷走中の私は現在、無事K-1ビザでアメリカに入国し、結婚の準備中です。私達はお互いに歳ですし、一度失敗もしていますので、結婚の前にプリナップ(婚前契約書/Prenuptial Agreement)を作成しようということで、現在これに取りかかっています。契約書作成/合意後に、結婚、そしてグリーンカードの申請となるので、まだまだ先は長いですが、これらと並行してこれまでの道のりを振り返りながら、少しずつ足跡を記していきたいと思います。

 

ひとまず今日はここまで。

人間ドックで「D」判定

このブログは、これから再婚をしてアメリカで暮らすことになる自分の、これまでとこれからを綴っていこうと考えていました。フィアンセビザの申請から取得までの道のりも、これから同じような経験をされる方の参考になればと、公開していく予定でした。

今もそのつもりはいますが、少し内容が変わる可能性が。

 

一番最初に何を書こうかと考えあぐねる中、家族と友人に囲まれて誕生日を過ごし、その後久しぶりの人間ドックを受診。今日に至ります。再検査として、肺のCT検査を明日に控え、不安定な気持ちを持て余しての心の吐露の場所として思いついたのが、この場所でした。家族や友人に心配をかけたくない、けれどもこの気持ちをどこかに解放したい。これはただの私の独り言です。そして、どのような結果が出ようとも、今の気持ちを決して忘れないでいるための備忘録です。

 

今回人間ドックを受診したのは、医療費の高いアメリカに移住する前のヘルスチェックが目的でした。そもそも最後に人間ドックを受けたのは7年半前。アメリカにいたここ数年間はろくに健康診断もせず。しかも左胸から肩にかけて痛みや息苦しさなどの違和感をかかえていたので、この症状が気にはなっていたのです。とはいえ、アメリカで一度、日本に帰国後も二度、この症状でレントゲンを撮るなどしており、問題は見つからなかったので、そろそろ私の気にしすぎかと思い始めていたまさにそんな時期でした。

 

左中肺野外側腫瘤(結節含む)疑い

人間ドックを含む健康診断で、初めて下された「D」判定。

 

それらしき初期症状がなければ、もっとこの疑いを疑うのかもしれませんが、今の私には、「やっと見つかった」気がしてならないのです。もっとも、問診で結果を聞いた後に、この気になっていた症状について話すと、それは関係ないでしょうと先生に軽く流されましたが。もうかれこれ禁煙約10年になりますが、私には喫煙歴もあるので、明日のCT検査を前に、確信のようなものを持っている自分がいるのです。

ネットで情報を得るのはひとまず止めておこう、と思いながらも、夜になるとひたすら「肺がん」にいろんなキーワードをくっつけて検索している自分に気付かされます。何か別の病気である可能性を必死に探しながら、その可能性が低いであろうことを思い知らされている感覚。「告知」に向け、一生懸命自分を落ち着かせようとしているかのような。

人間ドックから今日で8日目。こんなにも「命の期限」を「時間」を意識したことはこれまでなかったでしょう。

 

まずは、冷静に明日の結果を受け止めること。そして、これからなすべき最善の道を探そう。今は、泣かない。泣いている場合じゃないから。自分の大切な命と体と心と、ちゃんと向き合う。折れずに。

はじめに

人生のおそらく一般的な折返し地点を前に、これからの人生を真剣に考えた末、

なぜか迷走に迷走を重ねて今に至る。

 

そして、そんな迷走の中でも

自分が過去に刻んできた点がすべて、今の自分に繋がっていることを改めて知る。

どんなに脇道にそれても、無駄なことはなかった。私には回り道が必要だっただけ。

明らかな失敗や辛い経験も、実は次の点に繋げるために欠かせないものだった。

これからもきっと、必ず、そうなのだと思う。

 

だから、自分の心に正直に自信を持って私の道を行く。

 

今は日本、もうすぐアメリカ、その次は何処へやら?

流れに身を任せながらも、私は私の人生を精一杯生きるのみ。